私は小学生の時に何度か友達に誘われ教会に行ったことがありましたが、それ以降は教会や宗教などとは無関係な中で育ち、学び、恋愛をし、そして夫と結婚をしました。

今から5年前の2000年、私たちは結婚してちょうど5年が経ちました。普通のカップルですと5年たてば、そろそろ子供が欲しいと考えるでしょう。もちろん私も考えていました。なぜ出来ないのだろう?私は病院に行き検査をしました。医者は「特に問題はないよ。不妊治療はあなた一人でやるものではありません。まずご主人を病院に連れてきてください。」と言うのです。私は夫にお願いしましたが、忙しいとか、そのうちコウノトリが運んでくるよと言って協力的ではありません。もちろん、そう言われてがっかりしましたが、不妊治療にはお金もかかるし、大変そう。それなら自然に任せて二人の生活を楽しもうと思っていました。そして9月、私と夫はハワイのマウイ島へ遅い夏休みの旅行を計画しました。9月は私たちの結婚記念日の月です。私は旅行に行く前から、本当に楽しみにしていました。二人ともハワイが好きで一年に一回は行っていました。その頃はよく「もしハワイに知り合いができたらもっと楽しくなるよね〜」と話していました。そして旅行の前日です。突然、今までには無いような腹痛に襲われました。家族は「旅行は別の機会にしたら」などと言いましたが、私はなんとしても行きたかったので、すぐに病院で検査をして薬を処方してもらい腹痛もおさまり旅行に行くことができました。マウイへ着いてから2日目の夜のことです。私たちはシーフドのディナーを楽しむはずでした。最初は良かったのです。ワインを飲んだり、ロブスターを食べ「明日は何をしようか〜?」などと話していたのですが、突然、耳の中が痒くなり、頭がかゆくなり、お腹がかゆくなり、今度は気持ち悪くなってしまったのです。腹痛もひどかったです。ディナーは途中で中止。部屋に戻り、トイレにしばらくいても一向によくなりません。鏡を見ると顔がパンパンにはれているし、体中にじんましんが出来ています。今までに食べ物で何かアレルギーを興した事のない私にははじめてのことでした。食べ物が悪かったのか?そうではありません。夫はまったく、大丈夫でした。すぐに救急車を呼び病院へ行くことにしました。夜間でしたので開いている病院までは急いでも30分以上もかかりました。救急車の中で救命士の方に点滴をしてもらい、病院に着いた時にはすっかりかゆみもおさまり、だいぶ落ち着きました。救命士の方はレポートを作成するため私の名前、住所をたずねました。所沢市と伝えると彼は「ホープチャペル所沢」って知っているか?と聞くのです。「知っているも何も同じ町内で、家から3分くらいで、毎日前を通っている。でも行った事は無いけれどね」彼はとても驚きました。「なんて、狭い世界なんだ!私はホープチャペルのメンバーです。ぜひ行ってごらん、良い人たちがいるよ」と言うのです。その後、彼は帰り、私は病院でドクターに見てもらいましたが、すっかり点滴のおかげで、良くなっていたので薬だけをもらって、その後の旅行は健康に楽しく過ごすことが出来ました。そして日本へ帰ってきてから、私はその救命士にお礼の手紙も書きたいし、それ以上に同じ町内にハワイの人がいるなんて会ってみたい!英語も習いたいし、これは行ってみようと思い、ここを訪れ初めてリサと会いました。

リサは彼の住所を調べてくれ、お礼の手紙を書くことが出来ました。また、ちょうどその頃ホープチャペルにはハワイから日本に来たばかりのカースティンという女性がいて、リサは彼女を紹介してくれました。英語を彼女から習ったり、一緒に出かけるようになり仲良くなりました。また感謝祭やクリスマスに参加し、日曜日の礼拝にも時々参加するようになりました。もしかして教会に行ってお祈りすれば神様は私たちに赤ちゃんを授けてくれるかもしれないと思ったのです。そして初めて参加したルツではお祈りのリクエストを聞かれ、仕事が順調に行っていなかったので、私に適切な仕事を与えて欲しいとみんなに祈ってもらいました。するとどうでしょう!その日の夜にしばらく連絡もとっていなかった友人から電話があり、知人が大学で秘書を探しているから働いたらどうかというのです。これには本当にびっくりしました。あ〜神様っているのかもしれない。でもその反面、イエス様が水の上を歩く話、処女から生まれる話はどうしても信じることが出来ませんでした。そして仲の良かったカースティンもハワイに帰ってしまい、しばらく教会へと足が遠のいてしまいました。教会はどうでもいいけれど、でも英語をまた習いたいなと思い、ある英会話学校でプライベートの英語教師を探してもらいました。プライベートなので、もちろん女性が良かったのですが、家が遠い人ばかりで時間も自分の都合とは合いませんでした。けれども英会話学校では所沢に男性の先生ならいますが、良いですかと聞くのです。とりあえず会って判断しようと思い、所沢の駅で待ち合わせをしました。駅へ行くと白人男性がアロハシャツを着て立っていました。まさかハワイの人では?と思いました。話を聞くとやっぱりハワイ出身の人でした。仕事は何ですかと聞くと宣教師だといううのです。この時、神様は絶対に私のことを放っておかないのだなと思ったのです。その後、父が急病になり、どうしても祈らずにはいられず、初めて心からイエス様のお名前によって祈りました。そしてそれは聞き入れられ、父もすぐに回復しました。そして、その週に私はイエス様を救い主として認め洗礼を受けました。

なぜ神様は私のところへ来てくださったのでしょうか?もちろん私を愛してくださり、私を救い希望を与えたかったのだと思います。けれども、私はそれ以上に思うことがあるのです。夫はクリスチャンではありません。「神様なんていないね」と言う事もありました。夫は10歳で父親をなくし、高校生で母親が再婚して外国に行ってしまいました。お金には不自由なく自由な生活をしていましたが、いつも心の中に私では埋められない寂しさがあったはずです。男なので寂しいと口では言いませんが、付き合っている頃から私にはわかりました。そんな彼に神様は私を遣って、終わることのない神様の愛を届けたいのではないかと思う出来事があったのです。

一昨年のクリスマスイブには普段、教会に行かない夫が礼拝に一緒に行ってくれるというのです。その日のメッセージはイエス様が生まれたお話しではなく、私たちの罪のために死んでくださったというお話で、彼も興味深く聞いていました。ところが、その翌日です。彼の大親友が交通事故で亡くなったと突然連絡があったのです。夫は「あんなに一生懸命に真面目に、家族のために働いていたやつがどうして急にこんなことになるのか?もっと悪いやつが図々しく生きているのに」「なんで!昨日教会に行ったのに?」「どうしてお父さんも、親友も亡くなってしまうのだろうか?」彼は非常に落ち込み、泣きました。そしてつぶやきました。「友達は天国にいったのかな〜?」私は「彼が天国に行けたのか?どうかは、私には正直、わからない。でも、今私たちが生きているこの世は永遠じゃあないよ。天国は絶対あるし、私は自分が天国へ行けると信じているから」でも彼は「俺は悪いから天国なんていけないなぁ」と言うのです。『そんな事ないよ、聖書には「私たちはみんな罪びとで、でもイエス様を信じれば天国にいけます。その為にイエス様は十字架にかかったんだ」と書いてあるよ。それは昨日牧師さんも言ってたでしょ。』私は、この友人の死を無駄にしない為にも伝えました。もし、私がイエス様のことを知らなかったら、何と私は彼に言葉をかけることができたでしょうか?

わたしは、生まれて初めて、自分の愛する人が嘆き悲しむ姿をみて、ほんとうに悲しく、共に泣き、彼のために、残された家族のために彼の手をとり祈りました。

「喜ぶ者といっしょに喜び、泣くものといっしょに泣きなさい」ローマ12:15

私は思います。神様は、そんな彼に私を遣って、神様の愛を届け、彼を救ってあげたいのだと。

「あなたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。・・・・」ヨハネ15:16

よくノンクリスチャンの人を私たちは「救われていない」と呼びます。世の中にはクリスチャンとはまったく係わり合いの無い本当に「救われていない」世界で生きている人がいます。それを考えれば、私の家族や友達「救われていない人」は私たちクリスチャンが彼らのそばにいて、神様の愛、御言葉を伝え、祈ってあげることが、せめてもの「救い」になるのではないのでしょうか?わたしはそういうノンクリスチャンの人たちにも、かつて自分も彼らと同じであったように、神様が私を愛してくれたように愛したいと思います。

「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」ヨハネ15:12

そして最後に、神様、私を選んでくれてありがとう!