去年の今頃、私はどうしていたのだろうか?と考え込むことがあります。抗がん剤の治療を終えて退院し、桜の花を見ることが出来とても嬉しく思い、でも来年は見れないのかなという悲しい切ない気持ちもありました。すぐに甲状腺のガンの治療も待っていました。 手術した後腹膜のガン(腎臓の上に出来た腫瘍)も原発不明という、元々の発症場所のわからないものなので完治は難しく再発するだろうといわれていました。私には自分の状況を受け止めるにはあまりに厳しすぎて、とりあえず、朝目が覚めたら、「今日は生きていられる」と感謝し、夜は先のことが心配になり泣いてしまう、こんな毎日でした。夫もこのような状態の妻を支えるのは大変でした。病気の妻にばかり関っているのでは仕事になりませんが、本当によく話し合いをしてくれました。「今、何が辛いのか。今、大切な事は何か。どういう過ごし方をすればお互いが楽になるのか。どんな状況にでも、幸せはあるのではないか。」そして、聖書をもっと読んでみてはどうかとアドバイスをしてくれました。
私が今のように普通の生活を送れることを、一年前には誰も予想しませんでした。甲状腺のガンと言われ詳しく検査をすすめていた癌研病院(日本で最初にガンの研究を始めたところ)の先生からも、首と胸の血管にある腫瘍について「ちょっと私どもでは、どうしようも出来ませんね」「あまり考え込まずに生活してください。としか言ってあげられません。」と、地の果てに落ちるような宣告もされました。
私は今年も美しい桜を見ることが出来ました。全てに神様のみ業が働き、私は助けていただきました。神様に私を助けてくださるための計画書がおありなら、それはきっと細かな字で書かれた分厚いものでしょう。私は感謝の気持ちを込め神様の奇跡をお話ししなくてはと思っています。今日は、神様が闘病中の私に教えてくださったことを聞いてください。
「主、われを愛す。主は強ければ、われ弱くとも恐れはあらじ。
わが主イエス、わが主イエス、わが主イエス、われを愛す。」
痛いとき、辛い時、自分の身体がどうしようもないとき、ベッドの上で、この賛美歌を歌いました。ほとんど顔をしわくちゃにし、泣きながら歌うのですが、しばらくすると自分の身体が優しく包まれるように安らぎ、そのまま寝てしまいました。ある時、夢の中でイエス様が十字架を背負い苦しそうに歩いてらっしゃる姿が現れました。群集の中で私は泣いていました。「私の罪のためにイエス様が苦しんでいる」という確信。どうしよう・・・
自分がガンと知ったとき、「えっつ。なんで私が?何が悪くって?私は悪い事はしていないのに」と思い、だんだん状況が厳しくなってくると「私はよほどひどい人間なのでバチがあたったのかな、きっとみんなは、そう思っているに違いない。」と考えていました。そして、これまでの自分の過ごし方がおかしいのだと、掃除の仕方、洗濯の仕方、食器の洗い方、野菜の洗い方まで自信をなくしていました。
わたしの「罪」を計るようなこともしました。あの時のけんかは、相手も悪いから、50%。この時は20%くらいよ・・・だから、そんなに「罪」は持ってないのに・・・・と。
イエス様の夢はそれまでに何度か見ていたのですが、苦しむお姿は初めてでショックでした。目が覚めても心がざわつくので聖書を読みました。
「口にはいる物は人を汚しません。しかし、口から出るもの、これが人を汚します。」
マタイ15:11
神様が、み言葉ではっきりと教えてくださいました。私が持っている罪のことを。
そして、妹の姿が浮かびました。とても悲しげな表情をしているのです。
私達は2人姉妹で、妹は6歳下です。妹が生まれた時のこと、キリスト教の幼稚園に通っていたことなどを懐かしく思い出しました。ですが、何時の頃からか、私達は理解しあえない姉妹になっていました。妹も「私には、母親が2人いるみたい。ママよりこわいお姉ちゃん。」と言ったことがありました。私は、妹がかわいい、心配、と言う気持ちが強すぎ厳しい姉でした。その妹が私の手術の前に、新幹線で7時間かけて会いに来てくれました。私が、「どうしてガンになっちゃたかな。遺伝かな。」というと、「お姉ちゃん、原因探しはやめようよ。」と言い、涙を流しました。そして、これからの治療のことを話し、妹のところで暮らしている両親の様子を聞き、わずか2時間滞在のあと子供たちが待つ下関へ帰っていきました。見送った駅で、私をぎゅっと抱きしめてくれました。
妹には子供が2人おります。2人ともタイプの異なる自閉症です。それを知った私は、どれだけ「何が原因?」と聞いたでしょう。子供たちの世話で家事をする余裕もない妹に「掃除は」と言ったり。おそらく悩みを聞いて欲しくて電話してきた時にも、強い調子で意見していたのです。
結婚して夫の実家のある下関へ行ったのですから知人もなく、心細かったでしょう。ですが私は、「自分で選んだ相手だしね。」と、寂しさを聞いてやることもしませんでした。
何年か前に、入間市に住んでいた両親のもとへ妹家族が遊びに来た時、妹は子供達の未来を考え、ボランティアに打ち込み、家庭生活がおかしくなっていました。私は「家庭が第一よ」と言ったのです。妹は「お姉ちゃんは何も解っていない!」と叫びました。その夜、父から電話がありました。「妹に謝りなさい。あの子は自殺するぞ。」「なんで私が誤るの。正しいのに。」
私にとって、下関に住む妹はとてもとても遠い存在になっていきました。私の病気のことも隠していたのですが、父の容態も悪かったので打ち明けました。するとすぐに駆けつけて、何も聞かずにただ抱きしめてくれたのでした。手術が無事に済み、抗がん剤の治療の辛さから、その妹の優しさを忘れかけていた時にイエス様の夢を見たのです。病気で辛いことばかりが先に立ち、自分の罪の悔い改めをしていませんでした。妹が黙って私を抱きしめてくれた優しさが、私にはなかったのです。
病院のベッドで妹に手紙を書きまました。書き始めも書いてからも神様にお祈りし続けました。私にとって、妹はとても大切です。妹の一番辛い時に寄り添う気持ちがなくてごめんなさい。と。
退院してすぐに妹からメールが来ました。「今日、下関市で自閉症児のための会議があるの。とても緊張しているから、神様に祈っていてね。」大学の教授や、医者や教育委員会の方の集まりの責任者をしていたのです。私は、すぐに私の大好きな聖句を送りました。夕方、妹から返信がありました。「み言葉をありがとう。読んでいるうちにとても平安に包まれ、落ち着いて仕事もできたよ。感謝です。」
この時、私自身もとても安らかな気持ちになりました。私は、「詩篇の花束」というみ言葉の書かれた写真集に「あなたがわたしの妹であることを誇りに思います」と入れ、妹に贈りました。
私達を修復してくださったのは神様です。妹との関係もですが、夫との絆も強くなりました。病気はもちろん辛いですが不幸ではありません。
「こんな大病をしなければ気付かないの?」と考えるのではなく、病気で得たもの全てに感謝したいと思うのです。神様は私にたくさんの恵みをプレゼントして下さいました。
家族、仕事の関係者、友人、そしてホープチャペルの兄弟姉妹の励ましも大切な財産です。
私の身体は非常に珍しいリンパ管の病気で、肺に転移すると移植が必要なのだそうです。
神様は私に引き続き、奇跡を起こして守ってくださっています。皆さんのお祈りが神様に届き、私の命を延ばしてくださっているのが解ります。ですから、私は、いつも神様を感じで生活しています。
これからも、神様のみ心にかなうように、お導きを信じていきます。
神に感謝して。
「そればかりではなく、忠難さえも喜んでいます。それは、忠難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。」
ローマ人への手紙 5:3−4
「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」
ローマ人への手紙 5:5