神様との出会い

私は幼い頃から外国の書籍にひかれ、憧れて少女時代を過ごしました。その中で特に好きだったのがワイルダーの「大草原の小さな家」。その家庭に見られる愛とその中心にあった神様の存在に、心惹かれるものを強く感じていました。

そんな反面、私はと言うと、小学校の友達の何人かが教会の日曜学校へ行っている事を耳にしました。私は『友達が行っているから私も!』という理由で、「日曜学校に行きたい」と母に言いました。母は賛成とも反対とも言いませんでしたが、教会へ行きたいなら行きなさいと、いつもと同様に私の意見を尊重してくれました。また、私は好奇心旺盛な性格でいくつか習い事もしていました。2年間日曜学校へは通いましたが、その後教会へ足を運ぶのをやめてしまいました。イエス様を信じることが出来なかった訳ではありません。私の生活の中心が、ずっと習いつづけていたバレーボールになってしまったのです。一週間のうち火曜、木曜、土曜は、夜の7時から9時まで練習、日は練習試合、それ以外の日も、友達と暗くなるまで練習をしていました。そして中学生になり、バレーボールへの情熱は更に増していきました。もちろんバレーボール部に入部しました。筋力トレーニングも含めると毎日放課後は部活があり、週3日は早朝練習がありました。クラブチームでもバレーボールを続けていたので、部活が終るとそのまま別の体育館へ向かっていました。高校受験の頃は、「春の高校バレー」や「インターハイ」に出場する名門校への進学を希望したりもしました。しかし、両親が自宅からあまりにも遠い学校への進学を反対し、私は名門校への進学をあきらめなくてはならなかったのです。でも情熱は冷めず、名門校ではありませんがバレー部に入り、それまでの生活と同じような日々を過ごしていました。このような生活は就職してからも暫く続きました。企業の実業団チームで仕事後に練習、休日は母校で後輩に指導したりしていました。こんなにもバレーボールに熱中していた私が、何故バレーボールをやめたのでしょう・・・ それは25歳頃、仕事とバレーボールに明け暮れた日々を送っていた中、後輩との電話で親友の事故を知り、病院へ駆けつけた時は既に亡くなっていました。この親友とはバレーボールを通じて高校1年生の時に知り合い、それ以来交友関係を保ち続けていました。親友は高校、大学とバレーの名門校へ進学し、就職してからは全日本に選ばれていた選手でしたので、ある意味、私が自分の夢を託していた相手でした。バレーボールをやめることによって、親友の死という事実から逃げられると思ったのかもしれません。

(イエス様との出会い)

 しかし、親友の死がいつまでも現実と受け止められず、寝つかれぬ日々も幾日かあり、そんな夜、埃まみれになった聖書を見つけました。私が購入した物ではなく、両親のどちらかが昔頂いた聖書でした。パラパラと眺めているうちに、日曜学校に通っていた時のことを思い出しました。『イエス様は3日後に復活された』事、亡くなった友人は『永遠の命』を得て、イエス様の下にいるのではと考えました。『死』という言葉に葛藤し続けながらも、年月だけはあっという間に過ぎてしまっていました。しかし、教会へ歩み寄ることはしませんでした。

そんなある日、友人3人と食事をした後、バーへ飲みに行きました。そこで出会った4人組のうちの1人が、店の外で倒れており急性アルコール中毒になってしまったようでした。今回は友人と私の意見が一致し、救急車を呼びました。過去の私だったら心配はするものの、誰かが救急車を呼ぶから大丈夫と考えていたと思います。4人組が日本人ではなかったからかもしれません。しかし、私に行動力を与えたのは、親友とその場にいたクリスチャンの彼だと思います。親友は『死』の恐怖を、クリスチャンの彼は『交わり、励ましあう』と言うことを教えてくれたのだと思います。幸いにも倒れていた彼は、命に別状なく翌日無事に帰宅することが出来たそうです。

その後、クリスチャンの彼と一緒に過ごす機会が多くなり、彼の敬虔な姿を目にしているうちに、日曜学校で学んだイエス様を改めて思い出しました。確かな信仰を心に持って歩むことの素晴らしさを、クリスチャンの中に見いだして、私もそんな生き方がしたいと思うようになっていきました。そして彼と一緒にホープ所沢へ来るようになり、イエス様を心から愛し始め、信じることが出来るようになっていました。そしてコーリーに「イエス・キリストが十字架に掛かられ死んで下さったこと、三日目によみがえったことを信じますか?」と質問された時、私は心より「はい」と答えることが出来ました。

イエス・キリストをハッキリ心にお迎えすることができ、告白が出来たことに、私の心は喜びと平安で一杯になりました。

(イエス様への私の感謝)
皆さん既にお気付きだと思いますが、先程のクリスチャンの彼とは、現在の私の夫であるクリスのことです。2ヶ月前に結婚し、クリスチャンホームを持つことが出来、家族と共に励ましあって歩める生活に導いて下さったイエス様に、心から感謝しています。これから様々な試練があるとは思いますが、イエス様がいつも共におられますので恐れることなく前進していけます。イエス様は私の生涯で一番の財産、何物にも代えられない尊い方だと心から感謝しています。

主は私の羊飼い。わたしには何も欠けることがない詩編23編 1節

いのちのある限り、恵みと慈しみはわたしを追う。主の家に私は帰り、生涯、そこにとどまるであろう 詩編23編 6節